J-FOOT Jr.SCHOOL つかしん blog

尼崎・伊丹つかしんの子どものサッカー/フットサルスクールJ-FOOT Jr.SCHOOL U-6コーチのブログです。新米サッカー・フットサル選手と保護者の皆様、新米サッカー・フットサルコーチの頭の中・トレーニング理論・子育てについてなど忙しい父兄の皆様・選手や選手の卵たちに向けて出来る限り有益なことを綴れたらと思います。

子供時代サッカー(フットサル)が下手くそで練習のやる気もなかったコーチのサッカー半生

こんにちは!

尼崎・伊丹の子供のサッカー/フットサルスクール、J-FOOT Jr.SCHOOL U-6コーチの三宅です。

サッカーやフットサル経験者の親御さんから見ていて「自分の子は下手くそだ」とか、親として普段何かに熱中している夢中になっている姿を見ていると「自分の子はサッカー・フットサルのやる気がないんじゃないの?」とか「練習したら?」と言っても全然練習しないとかイライラされることもあるかと思います。

そんな親御さん方のご参考になるかは分かりませんが、今日はサッカー歴25年くらい?の僕のサッカーを始めた当初のことをご紹介したいと思います。

子供時代サッカー(フットサル)が下手くそで練習のやる気もなかったコーチのサッカー半生

僕は小学3年生か4年生くらいに多分Jリーグ開幕の影響と、同時期にたまたま友達とサッカーをして遊んだことがきっかけで親にお願いして地元のサッカースポーツ少年団に入りました。

幼稚園くらいまで記憶を遡ってもそれまでは、完全に野球少年で将来の夢は野球選手になることでした。
サッカーを始めても長いこと友達と遊ぶのは野球の方が楽しかったし、グローブを買ってもらったりもしてました。

そんな野球少年がなぜ野球をしなかったのか?

それは子供ながらに絶対に坊主頭にしたくなかったからです。

サッカーでも罰か何かで「頭丸めろ!」って言われていたらやめてたかもしれません(笑)

でも自分で始めたいとお願いしてさせてもらってるサッカーに熱中せずに野球ばかりして遊んでいたのか。。。

それはサッカーが下手くそだったからです(笑)

スクールでみんなに教えていても思いますが、小難しいことはあまりしたくないんです(笑)
サッカーやフットサルは足を使うスポーツ。

手を使う方が簡単に決まってますもん。

それがまた自分の得意な野球となるとなおさらですよね。

サッカー・フットサルで王道の自主練習と言えばそう!リフティングです!
リフティングなんて10回続けて出来るようになるのもなかなか時間がかかったと思います。
100回以上できるようになったのは中学生になってからでした。
そんなリフティングの練習なんて数分も続きません(笑)
だってすぐに失敗するから。

そんな面白くない練習したくありませんでした(笑)

そんな僕が試合に出れるわけはありません。
しかも幸か不幸か、当時のチームメイトは僕からしたらバケモノだと思っていました。
経験者が多くみんな上手だったんです。

たまに試合に出してもらっても、ルールも良く分かってないし自分が何をどうしたら良いか分からないので活躍できない。といった感じでした。
でもなぜか当時の僕は投げ出さずに試合に出る方法を考えました。

結論はゴールキーパーをすることでした。
野球やドッジボールが得意だったから(笑)
現代サッカーやフットサルはもちろん違いますが、足でボールを扱うことのないゴールキーパーなら試合に出れるんじゃないか?ルールが良く分かってなくてもキーパーなら邪魔にならないんじゃないか?

って思ったんですね(笑)

子供のころから色んな遊びをしていたからか足も速かったし体育でも何でもできるし運動神経は良かった方だったと思います。
サッカー以外(笑)

で、コーチに「ゴールキーパーがしたいです」と直談判して出してもらった最初の大会で準優勝!
当時のチームの最高成績で、コーチや父兄みんな喜んでくれてるし自分もチームの勝利にプレイヤーとして関わる喜びを覚えゴールキーパーにドはまりして、練習を頑張るようになりました。サッカー以外の時間は相変わらず鬼ごっことかかくれんぼとか野球とかTVゲームばっかりしていましたが(笑)

試合に出れなくてベンチに座って砂遊びをしていた僕がキーパー練習で砂まみれになる喜びを覚えた4年生の冬の話です。

話の途中ではありますが、このエピソードを僕は全然美談なんかとは思っていなくてすごく惨めな話でもったいない時間を過ごしていたと思っています。
なので、スクール生には僕みたいな思いをしてほしくないと思っています。
僕の指導の源泉はこういった経験で、サッカー・フットサルがうまくなる方法・正しいプロセスを経た練習方法を伝えていきたいと思っていいつもメニューを考えています。

角谷コーチも元プロ選手ですが幼いころから天才プレーヤーではなかったみたいです。
そして角谷コーチともよく話すんですが「僕らが子供のころに今の僕らみたいな指導者に巡り合えていたら人生変わってたよね~」って。
※僕が小学生当時の指導者の方々を非難したいわけではありません。あの時サッカーを続けさせてくれるモチベーターは間違いなく当時の指導者の方々ですので非常に感謝していますし今でも仲良くさせて頂いています(^^)

僕の本業の方でもそうですし、ウチのスタッフにも伝えているんですが「関わる人に感動を与えるような、人生を変えるような仕事をしよう!」というのがモットーです(^^)

長くなりましたので、続きは今度にします。

お読みいただきありがとうございます。